御祭神


 気比神社の「気」は食べ物を表し、「比」は「御霊」を表しています。三瀬の気比神社は、保食大神・日本武尊・神功皇后等を祭り、「農業」と「武」の神です。敦賀氣比神宮の主神は、同じく食物の神とされる伊奢沙別命(いざさわけのみこと)ですが、三瀬気比神社の主神は保食大神(うけもちのおおかみ)です。これは三瀬では古くから保食大神を崇敬していた事もあり、気比勧請に際しての配慮であったと考えられています。
 
●保食大神(中座)(うけもちのおおかみ)
 ≪衣食住・海上安全・農漁業・交通安全≫
 「日本書紀」の五穀起源神話に登場する食の神様です。「うけ」は食べ物、「もち」は「持ち」の意。天照大神(あまてらすおおかみ)の命により、月読尊(つくよみのみこと)が保食大神のもとに行くと、保食大神は口から飯、魚、獣を出して供応したので、月読尊はその行為を汚いと怒り、剣を抜いて保食大神を殺してしまいました。すると,天照大神は激怒して月読尊とは二度と会わないと言い、それで日と月とは一日一夜を隔てて住む様になりました。さらに死んだ保食大神の体からは「牛馬」、「粟(あわ)」、「蚕(かいこ)」、「稗(ひえ)」、「稲」、「麦・大豆」が生まれたという五穀起源の説話になっています。農業・漁業の守護神でもあります。
 
●仲哀天皇神(左座)(ちゅうあいてんのう)
 ≪無病息災・延命長寿・武運長久≫
 第14代天皇 足仲彦天皇(たらしなかつひこのみこと)。九州の熊襲(くまそ)が叛いたとの知らせを聞き征伐に向かったが、そこで妻の神功皇后が戦いの前に吉兆を占ったところ、神からのお告げは熊襲征伐に出たはずの軍を宝の国(新羅国)に向けよというものであった。仲哀天皇はこれに反し、従来どうりに熊襲を討とうとしたため、神罰を受け命を落としたという。
 
●神功皇后(右座)(じんぐうこうごう)
 ≪安産・農漁業・海上安全・無病息災・延命長寿・武運長久・音楽舞踊≫
 仲哀天皇の妻(気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと))。神功皇后は、大臣(おおおみ)の武内宿禰(たけうちのすくね)の助けを得て、勇敢に新羅国を攻め、これを従わせたといいます。父は開化天皇玄孫・息長宿禰王(おきながのすくねのみこ)で、母は天日矛裔・葛城高顙媛(かずらきのたかぬかひめ)。彦坐王の4世孫、応神天皇の母であり、この事から聖母(しょうも)とも呼ばれる。
 
●応神天皇(惣社)(おうじんてんのう)
 ≪海上安全・農漁業・無病息災・延命長寿・武運長久≫
 仲哀天皇の第4子。第15代天皇。仲衰天皇が亡くなった年の冬に生まれた。71歳で即位、111歳(古事記では130歳)で崩御したという。応神天皇の時代は朝鮮半島を通じて農地改良・馬・太刀・縫製・論語などがもたらされ、技術改革、文化振興が行われた。皇祖神や武神として、各地の八幡宮に多く祭られている。
 
●玉姫命(平殿)(たまひめのみこと)
 ≪音楽舞踊≫
 爾波縣君祖大荒田命の娘として生まれ、尾張氏の建稲種命(たけいなだねのみこと)と結婚しました。子宝にも恵まれて幸せに暮らしていましたが、夫の建稲種命は日本武尊(やまとたけるのみこと)のお供として出征し、運悪く戦死してしまいます。玉姫命は故郷に戻った後、母親として立派に子供達を育てあげ、民達のお手本として懸命に働き、在地の発展と子孫繁栄を成し遂げたそうです。
 
●日本武尊(東殿)(やまとたけるのみこと)
 ≪武運長久・無病息災・延命長寿≫
 第12代・景行天皇の子。神がかり的な力で東西の叛乱を抑え、邪神を退治するなど、日本の国土を平定した英雄として祀られている。
日本書紀では、16歳の時、いったん平定された九州地方で再び叛乱が起きたため討伐に向かう。叛乱を起こした相手方の宴の中に、美少女に変装して忍び込み、宴たけなわの頃にまず兄建を斬り、続いて弟建に刃を突き立てた。討伐された弟建は死に臨み、その武勇を嘆賞し倭建(ヤマトタケル)の号を献じた。西の九州討伐後、倭姫命より伊勢神宮にあった神剣・草薙剣(くさなぎのつるぎ)を賜り、今度は東の吉備や難波の邪神を退治して、水陸の道を開き、天皇の賞賛と寵愛を受ける。草薙の剣をもたず、素手で伊吹山の神を討ちに行こうとした際、その神の化身である大蛇をまたいで通ったため、神に氷を降らされ病身となり、そのまま亡くなった。日本武尊は白鳥となって、大和を指して飛び、後には衣だけが残されたという。仲哀天皇の父。武神。
 
●武内宿彌命(西殿)(たけうちのすくねのみこと)
 ≪延命長寿・無病息災・武運長久≫
 『古事記』『日本書紀』に登場する中で最も長寿な伝説的人物で、大和朝廷初期(景行・成務・仲哀・応神・仁徳天皇の五代の天皇の時期)に棟梁之臣・大臣として仕え、国政を補佐したとされる。年齢についても280歳、295歳、306歳、312歳、360歳などの諸説がある。忠臣の誉れ高く、景行天皇の時蝦夷地視察、神功皇后の三韓遠征、忍熊皇子反乱討伐などに参加。日本銀行券(紙幣)の肖像にも、5種類採用されています。